温故知新。
- Mie Ogura-Ourkouzounov
- 2018年1月2日
- 読了時間: 6分

A Happy New Year 2018! Bonne année 2018! 2018年あけましておめでとうございます! 2017年は本当にすごい年になりました。多分これまでで一番実り多い年でした。一人で成し遂げたこともあり、しかも色んな人とのエネルギーが混ざり合いました。今年は昨年撒き終えた種を、どのように育てていくのか、という年になるのではないかと思っています。 前回お話したデレク・ベイリーの本、「即興演奏の彼方へ」ヒマなので読み終えることができました。 2週間の休暇が来る度(フランスでは2ヶ月毎と本当に度々やってくるのだけど)、ツアーに出るヴァカンス以外は、子どもがいるので「万事休す」になって、音楽的に何かをやっている真っ最中でも中断を余儀なくされてしまう。そしてぼんやり、うすら寒い、いまにも暗い空から雨が落ちてきそうな新年の公園で時間を過ごす。すると季節の巡りが感じられて体中の感覚が取り戻される。 この本を読んでいる間、自分だったらこうは思わないな!とかへー、こんな考え方でやってる人もいるのか、とか、すごい良いね、そのアイデア。ほんとそうだよね、図星!!などなど、エキサイトしまくった!!ということは、やっぱり即興って、私にとってよほど核心ということなのか。そして、デレクさんはその即興を愛してやまなかったのだ。 先日、パリ音時代の即興の授業中(1998年だったと思う)のある瞬間から、自分の方向性が決まった、というようなことを書いた。 その頃即興のクラスにブルガリアから来た「カヴァル」というブルガリア民族フルートを吹く子がいた。この子がある日(映像に即興を付けていた時だったと思う)みんながグループ即興を探りながら始めたのを横目に、考えたのち、一音だけで「パッパッパッ」とただ単にリズムを刻んだ。それだけのことなんだけど、その瞬間から全ての未来がばあーっと開けているかのように。。。透明になったのだ。それは、クラシックで習っているような、楽譜上やメトロノーム上の数えている「拍子」ではなくて、それ自体が脈を打っているというか、命が宿っている、というか、そんな単純なことなのに、楽譜にしたら「単純すぎる」このことが、ものすごい意味を持っている。カヴァルのたった一音が私を捉えた。やっと巡り会えた、虚しく工業的なマテリアルとしてリズムを扱うのじゃない、「どこかに繋がっている」とでもいう感じ!(あとで知ったことだけど、この宇宙と一体化したリズム感のことを、インド音楽では「ラヤ」という。クラシック音楽にはこの概念に当たる言葉がない)その細い糸を頼りに、インド音楽のクラスの戸を叩いた、ムタル先生と出会った、それからのことは例のインタビューや以前のエッセーでも少し話している通りである。 どうしてブルガリア、インド、フラメンコなどの伝統民族音楽に魅力を感じ学んで来たのか、というと、(これは「既成の即興言語」という意味でデレクさんによれば「イディオムインプロヴィゼーションに入るらしいんだけど)、エキゾチックな魅力に惹かれたから、というのでは全くない。そういう観光的な、またはよくある「異質な素材を探して手に入れたい」とかいう植民地支配みたいな上から目線は大嫌い。では何かというと、それは田中泯さんの言うところの「遺伝子」のつながりというか、たぶん人の集合体の全体の記憶みたいなものを身につけ、人類の血の中にあるものを確認したいからじゃないか?と思う。温故知新。私は学ぶ事が怖くない。例えばそのカヴァルの子は学ぶ事で即興のインスピレーションが壊されることを恐れていたけど。でも、私にとっては逆で、学べば学ぶほど祖先と繋がっていることが確認できるんだから、こんなに心温まることはない。この辺で、それまでやっていた「非イディオム・インプロヴィゼーション」(要するにフリー)が、どうして窮屈に思えたのか説明できる。だって、それは「自分の発明するもの」の範疇でしかできないから。フリーでは即興の素晴らしさに気づかせてもらったのだけど、同時に、私個人の「自分」というものは、実はそんなに豊かではないことに、すぐに気づいた。人間の祖先から代々つながってきたなにか、、、遺伝子レベルに刻まれてきた音楽。。そういうものを乾きを癒すごとく求めたのだと思う。そこに繋がった上で、コルトレーンのようにいつかはスタイルを解放させフリーに行き着く、そのほうが私には方向が合っているように思う。だから「イディオム・インプロヴィゼーション」はイディオムに奉仕するもの、というデレクさんの考えは私には当てはまらないと思う。そういう風に考えている人が多数派なのは分かるけど(例えば私の師匠ムタルも、絶対的に伝統北インド音楽的でないものは容認していない、イコール、イディオムに奉仕していると言える)私の場合は、もう北インド音楽が大大好きで、その精神や哲学が私の中核を作っていて、どんな即興をしても現れて来る言語だとしても、北インド音楽には奉仕できない。だってだいたいそんなの無理だし。もう壮大すぎるよ、北インド音楽! で、もっとイディオムに奉仕しなくても寛容に赦してくれそうな音楽、それが私にとっては間口の広い「ジャズ」だった。だからそれから10年間はジャズを徹底的に学んだ。(前述のムタル先生は逆に、ジャズを愛していたが出来なかったからインドに行ったのだそうだ。人に歴史あり!)普通徹底的に学ぶことはイディオムに奉仕することなんだろうから、私は奉仕したくないが為に学んだ、というのはおかしな話だけど、どっちみち、私は日本人で、パリにいるのだ。本格的アメリカーンなジャズが出来るわけがない。だから別に奉仕しなくてもいいのであーる。気楽。しかも、楽器が、チャーリーパーカーとかに似る可能性のない、フルート。楽勝!ウソウソ。うそです。クラシックやってきてからジャズをやるのは、めちゃくちゃ難しいです。どうしてなのかはデレクさんの本でよく説明されております。まさに、どんなに、どんなに経験を積んで吹けるようになったとしても、いつまたっても第二外国語。(私のフランス語と似てる。ちゃんとしゃべれますよ、生活してますよ。でもフランス人のようには喋れない)でもそんなことより何より、中学生のときにセロニアスモンクのCDを買ってからというもの、私はジャズが好きだった!!いつかどうしても自分の手で出来るようになりたいほど、好きで好きでたまらなかった。チャーリー・パーカーがビバップを始めた時の即興のエネルギーや、マイルス・デイヴィズがそれぞれの時代でジャズを変えて新しい道を与えた時のエネルギー、コルトレーンが調性とモードを最大限に探求してフリーに爆発するまで持って行ったあのエネルギーが、ローランド・カークの、全ての黒人音楽を根こそぎインプロに変えている、そのエネルギーが!その変わって行く時のエネルギーが好きなんだから、今のミュージシャンが昔のジャズを美術館の展示物みたいに演奏しているのは私には意味がない。だからってジャズが死んだ、というのは簡単だ。勝手に誰かによってカテゴリー化されたジャズが死んだだけで、その精神、その言語を最大限に知ることは、絶対にこれからだって音楽を変えて行く原動力になるはずだと思う。(お、これって人の死に似てる!)現在だったら、自分を幾人のスタイルにでも分裂させられるチック・コリアや、身を挺して即興しているキース・ジャレットが大好きだ。 パリにいる日本人である、ということだけが現在の私のアイデンティティーだ。私は作曲されたものだからとか、即興されたものだからとか、楽譜を解釈する行為だからとか、なんの言語が音楽に使われているかとか気にしない。ただ音楽で、表現したい。私は排除したくない。この小さな私は、世界を構成しているすべてのものと繋がっていたい。








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