top of page

メデリックとパリ郊外の力、マイルスの力 2017 4.11

  • 執筆者の写真: Mie Ogura-Ourkouzounov
    Mie Ogura-Ourkouzounov
  • 2017年4月11日
  • 読了時間: 4分

最近また昔から好きだったメデリック コリニョン(Mederic Collignonフランスのジャズトランペット奏者、シンガー)の音楽にはまっている。 なぜかというとご近所さんだし、同い年位の子どもがいるので最近行き先が類似しているのでよく会うし(メリーゴーランドとか笑) 道ですれ違っても、この間なんか新しい電動スケーターに首ったけ!という感じでウキウキウキウキ乗ってたし。普通大人って、そういう新しい物もっててもイエイっていう感じ特に出してないじゃないですか。彼はこの新車いいでしょめっちゃ嬉しいんだよねオレという感じが一キロ先からも伺える、、、この私の近視でさえも、そんな態度だから視界にはいってくるよ。しかも4歳の子どもを連れているときは、子どもとパパが立場逆やろと突っ込みたくなるぐらい親のほうが楽しそうなんだよ。普通、親ってしれーっとしてこどもに命令してたりする人ばっかりなんだよねー、パリだと。ほんとそんなの楽しくないよねー。 いま現在フランスで演奏されているジャズで私が好きになる音楽ってびっくりするほど少ないんだけれど、道でびっくりするほどその他大勢とは違っている彼こそが、その数少ないなかの一例である!やっぱりその人の存在って、人となりって、音楽そのものを表してる。 もう、彼、いっつも全力なんですよ。思いっきりなんですよ。なんというか、、、ぜひとも、みなさんに見て聴いて頂きたい! ジャズって、音楽って、私はいつも、その場で今起こっているエネルギーを表現するものなんだと思っている。だから、今みんながやっているような、ガラスに入れられた美術館のオブジェの管理人のようなやりかたには全く興味がない。 ではなぜこういうご時世のパリでメデリックがこういう表現ができるのか。。。というと、彼はパリの郊外出身なんですね。一番いま忌み嫌われている、あのき な臭い事件の多い、差別だらけの、理不尽なところ。移民と貧しさのエネルギーの渦巻くエリア。でもそういうなかで理不尽を乗り越えようとしているその人た ちにこそ、本当のいまのフランスのエネルギーがあるのだ、と思う。そこはパリの美しい中心地にある美術館でも博物館でもない。そういう中からこういう表現 ができる人が出て来ることがすごい、と思う。 またタナダさんが、私の誕生日に大好きなマイルスのインタビュー集を買って来てくれたのですが、これがまたスゴい!! 私はすでに彼の自伝の大ファンですり切れるまで読んでいたので彼のことは知っているつもりだったんだけど、これはもっと強烈公園で娘を遊ばせてる間に読んでいるんだけれど、もう一行一行笑える(笑)あんまりなユーモアを持って真実を語っていて、最高音楽する勇気が湧いて来る、生きるのが楽しくなるなんてすごいクソヤロウ(注マイルス語)なんだ。 まだ全部読んでないけど、ここにすこし名フレーズを。 質問「あなたにはある意味自分は別格だという自覚がきっとあるのでしょう」 マイルス「そうだな、だが、負担はまるで感じない。俺は他の連中のような演奏ができないだけだ。ほかの連中のようなボクシングもできない。なんだって他の連中のようにはできない。俺は俺自身でしかない。それに俺は音楽をもてあそばない。愛しているからな」 質問「あなたは一緒に演奏するミュージシャンになにを求めるのですか?」 マイルス「姿勢だ。。。まずは楽器を持つ姿勢だ。楽器の持ち方で演奏ができるかどうかが分かる。その楽器にどれぐらい思い入れがあるかどうかがな。それから話し方や仕草だ。とてつもなくヒップな仕草をしたがる連中は、まるで演奏できない」 質問「あなたがカムバックするのに、評論家が大きな期待を寄せています、酷評されるかもしれない。。。それはミュージシャンにとって過酷なことなんでしょうね」 マイルス「答えようがないな。俺は評論家に声もかけないし見向きもしない」 質問「活動を休止している間、演奏する能力を失うと思ったことはあったか」 マイルス「それはない。なにかが演奏できないと思う事自体、まるでないのさ。俺はホーンを取り上げて思い切り吹くだけだ」 もうグウの字もでませんね。笑 思うにメデリックは現代のマイルスだ。現代の希望だ


 
 
 

Comments


© 2023 著作権表示の例 - Wix.com で作成されたホームページです。

bottom of page